転職から一年、役に立ちたい気持ちを再設計した記録
最近、温泉でぼんやり過去を思い出していたら、転職して一年経った今だから言葉にできることがあると気づきました。 これは正解の提示ではなく、自分の整理として残しておきます。

人の役に立ちたくて、医療に入った原点
最初に選んだのは医療の世界でした。 理由は単純で、「人の役に立ちたい」と思ったからです。
大学卒業後は医療機器の設計に携わり、家系的にも医療が身近な環境でした。 だからこの選択は、勢いでも逃げでもなく、当時の自分には自然な流れでした。
評価や安定より先に、役に立ちたい気持ちがあった。 この動機は今でも否定していませんし、むしろ原点として大切にしています。
中に入って見えた、医療という構造
実際に働いてみると、外から見えていた医療とは別の景色がありました。
医療は確かに尊い。 社会に必要で、なくなることもありません。
一方で、
- 規制対応は年々重くなる
- 報酬は制度に強く縛られる
- 失敗コストが重く、設計の自由度が狭い
という現実もある。
そこで初めて、 「医療でなければいけない理由は何か」 という問いが、頭ではなく身体感覚として立ち上がってきました。
「人の役に立つ」は医療にしか存在しないのか
働くうちにもう一つ気づいたのは、 「人の役に立つ」を業界と一対一で結びつけすぎていたことです。
医療はわかりやすく直接的に人を支えます。 でも、世の中には別の形の支え方も確かにあります。
創作、音楽、表現、コミュニティ運営。 直接命を扱わなくても、人の生活を軽くする仕事は多い。
自分が自然に向いていたのは、
- なぜこうなっているのか
- どこで無理が生まれているのか
- どうすれば壊れにくくなるのか
という構造を捉える視点でした。
分かっていたから、離れた
医療から距離を取ったことは、逃げでも諦めでもないと思っています。 むしろ、分かってしまったから残れなかった。
医療は人を救う一方で、 「支える側が耐えることで回る構造」 を含む場面がある。
実際、転職時には医療系企業から内定もいただき、周囲にも喜ばれました。 それでも選ばなかったのは、医療を否定したからではなく、 「自分が長く続けられる役割ではない」と判断したからです。

まず自分を救わないと、何も続かない
消耗し切った状態で人を支えようとすると、
- 無意識の自己犠牲になる
- 報われなさが蓄積する
- 最後は続かなくなる
結果として、誰も救えなくなる。
だから今は、 「人の役に立つためには、まず自分が持続可能であること」 が前提だと考えています。
最短距離を選ばなかったというだけの話
今の働き方は、遠回りに見えるかもしれません。 でも自分にとっては、苦しみを再生産しないための設計変更です。
わかりやすい善や評価の最短距離を一度通って、 「この形では続かない」と理解した。
だから今は、限界を把握した上で、現実的に続けられる方法を選んでいます。
選択肢を増やす側に回るということ
現在は化学系の会社で働いていますが、 誰かの人生を直接変えることだけが役割だとは思っていません。
- こういう考え方もある
- 別のルートもある
そう示せるだけでも、選択肢は増える。 選択肢が増えれば、救われる人も増える。
それが、今の自分なりの「役に立ち方」です。

終わりに、これからの10年をどう生きるか
年が明けると29歳になります。 焦りというより、40歳の時点で選択肢が細ることへの怖さを感じています。
若さで無理が効く時期は永遠ではない。 体力、集中力、環境は少しずつ変わっていく。
だからこそ、これからの10年は
- 自分の限界を理解する
- 凡人であることを前提にする
- それでも生き残れる設計を続ける
この積み上げに集中したい。
突出した才能がなくても、 技術、構造理解、言語化、倫理観を少しずつ重ねることで、到達できる場所は変わると思っています。
派手さはなくても、続けられる形を選ぶ。 自分を守りながら、選択肢を増やし、負担を減らす側に回る。 それが今の自分が選んだ、これからの歩み方です。